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2006年8月30日 (水)

依存

こんにちは、ののです。

今日は、この数ヶ月の中で、最も強く感じ、考えたことを書きたいと思います。精神的な「依存」についてです。この話は、このブログを立ち上げた理由にもなっています。

1ヶ月半前のある日、つくづく、私はいろいろな人に精神的に依存しているのだ、と感じたことがありました。大学時代のある友人とのことがきっかけです。

その友人とは大学時代のクラスメート。大学を卒業し、彼女は企業へ就職。私は司法試験の勉強をしていました。数年、連絡を取らない状態でしたが、私の父が亡くなった、その前後から自然に連絡があるようになりました。

彼女も彼女なりに大変な時期でした。私も、次年度の司法試験を最後に、勉強をやめようと思っているところでした。お互い、わりと深い内容について話したりするようになりました。

そして、いざ、司法試験本試験の直前になったとき、彼女とトラブルになり、試験直前のある日、彼女に、ある言動と行動で決定的に打ちのめされることをされてしまったのです。彼女とはその時、深い話もするような仲だったので、私自身、とても深いところで傷ついてしまいました。試験も、会場に行くのがやっと。論文などは書ける精神状態ではないままに、最後の司法試験が終わってしまいました。

「友達なのになぜ、司法試験直前のあの時に、ああいうことをするんだろう」

それから、彼女とは連絡を取らないようにしていました。そして、私自身、幸せな今、そのことを忘れ去っている、と感じていました。

それが、数ヶ月前、大学時代の他の友人のことで、再び連絡をとるようになりました。あの時とは違う、別になんともない内容のメール。でも、あの時と同じ、彼女らしいやり方の連絡の取り方と話題の選び方…。

私は、何かたまらなくなっていきました。忘れていたと思っていた、あの時のこと、あの時の気持ちが甦ってきたのです。忘れてはいない、事細かに覚えている自分に愕然としました。そして、今でもとても傷つき、嫌な想いを抱いていました。

「何でこんなに苦しいんだろう。どうしたらいいんだろう。」

その日、ちょうど、仕事が夏休みでお休みだったので、少し立ち止まってみることにしました。こう考えようとかこう考えた方がいいとか思わずに、頭に思い浮かぶままに、考えに身を任せていました。涙も止まらないし、どうしようもない気持ちになるけれど、それはそのままにボーっとしていました。

夕方頃になった時、突然、ハッとしました。

「私がこんなに苦しいのは、彼女に依存しているからだ。友達だったらこうしてほしい、という気持ちが強いからだ。人間いろいろな人がいて、私の思ったとおりの理想の行動をしてくれる人なんていないんだから。」

そう思ったとき、急に、胸のつかえがとれて、気持ちがほーっと鎮まっていきました。気分が不思議なほど爽やかになっていきました。

その時、自分の人間関係を改めて検証してみました。随分いろいろな人に依存している。親、妹、夫、友達、…。「親ならばこうあってほしい」とか「夫ならばこうあってほしい」みたいなことが、多かれ少なかれあることに気づきました。

依存していると、苦しいのは自分で、その苦しみは本当に辛いものだ、ということがこの時実感として分かりました。だからこの時、人に依存するのはもうやめよう。人はその人らしく、好きなようにやっているし、自分もその一人なんだだから。そう強く決心しました。

そう思って、周りを見渡してみると、なんと面白い人がたくさんいることか。このときから、人は私を傷つける存在ではなくなりました。いろいろなことをしていて面白い存在。そして、同じ人間。人間としての同じような想いを抱きながら、それをいろいろに表現している。人がどういうことを想い、どういう風に感じ、どういうことを言うのか、そういうことが、すごく、私の興味の対象になっていきました。人間としての共通した想いや心の動きを、いろいろな人と共有したい。このブログを始めたのも、そんな想いがあったからです。

日本人は欧米人に比べ、他者依存が強いと言われていますね。私は、そういう日本人の「依存」は絶対、否定的には思えない。美しいことだと思います。「依存」という精神過程を持っているからこそ、他人が何を求めているかということを、感じることができるし、そのことをいつも忘れないで行動することができる。思いやりに溢れた、感性豊かな心だと思います。それで、ある程度までいくと、依存の辛さを知り、多くの人は、一定程度の依存を断ち切って大人になっていく。

そういう「依存」という過程を知った、思いやり深い大人がたくさん、この国にはいること、それを私は近頃、身の回りで感じることができて、とても嬉しく思っているところです。

依存することもまた、いいことですね。そして、それを知って、そういう気持ちを忘れずに自立していくということもまた、とてもすばらしいことだなぁと、最近、よく思っています。

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2006年8月25日 (金)

自分で得た力と輝き

こんにちは。ののです。

この1週間の出来事がとても充実して学ぶことの多いことだったので、それについて書こうと思います。

私は、いくつかの学校、クラスで、パソコンの講師をしています。だいたい生徒15名の授業を一人の講師で行う仕事です。

その中の一つのクラスで、おととい、パソコンの検定がありました。そのクラスは障害者のクラスで、ビジネス系の仕事を目指すクラスです。パソコンはそのクラスのいくつかあるうちの一つの科目です。そしてたまたま、そのクラスは障害が重く、パソコン初心者、そして、私よりも年上の30代・40代・50代の方の多いクラスになっています。

1ヶ月前に検定の日程が決まった時には、まだまだ、全然、検定などとは程遠い状態でした。上肢障害の方たちなどは、特に、時間が足りず、大変な苦労と悩みの中にいました。

「教える」という仕事で私自身、気をつけていることがあります。私を信じてがんばってもらわないことです。「信じてついてこい」という感じにはしないことです。そういうふうにしてしまうと、その生徒さん自身の思考がストップしてしまう可能性があります。自分で考えないで、私を信じてがんばってしまえば、卒業して私がいなくなったときに、自分で考える力がなくなってしまいます。それよりも、考える手助けをしたい。そして必要な時には、その道しるべをおいてあげたい。

そして、その生徒さんが悩み苦しみながらも、紛れもなく、「自分の力」で何かを得た、と思えるようにしたいと思っています。悩み苦しみ、それでも「全力を尽くした」「がんばった」という充実感、心の中でこれから支えになっていくものを得ていってほしい、と思っています。

8月上旬の夏休み前に、模擬試験を行った時には、厳しいことを言いました。「今の段階で合格できる人は一人もいない。もっとがんばらなければダメだ」。実は合格レベルにいる生徒も数名いたのですが、その生徒たちにも、これでは受からないと言いました。合格した時に、あまりがんばらなくてもできるさ、と思ってもらっては困る。それでは社会でより困難な状況に遭ったときに対応する力がなくなってしまう。合格レベルに達している人も含めて、全員に大いに悩んで考えてもらおうと思いました。

夏休みが明けたのが、今週の月曜日。水曜日が検定です。夏休み、病気で入院していた生徒さんもいました。他の生徒だって、夏休みに思うように勉強できた人はほとんどいないでしょう。しかも合格レベルに達していない人がほとんどです。「夏休みはもう終わってしまったから、終わってしまったことについて考えてもしょうがない。過去のことは忘れてください。今日と明日のことだけ考えてください。受かるかどうかは分からないけれども、今日と明日、どれだけがんばれるかっていうことが、皆さんをこれから支えていくものになるから。」私もとにかく必死でした。どうにか受かってほしい、でも難しい人がたくさんいる。共に悩む二日間でした。放課後に補講も行いました。検定の前日の補講を終えたときに、まだ、試験時間内にできない人がほとんど。ダメかもしれない。

水曜日、検定当日。検定前に一言生徒に言える時間をもらいました。「昨日の自分と今日の自分が突然変わっているわけがない。だから、今日、突然すごいことができるわけではないですね。皆さんは今の皆さんのままでいい。でもこれだけは決して忘れないで。今の皆さんの持てる力でいいから、最後まで絶対に『諦めないこと』。与えられた時間、与えられた道具と自分の力で精一杯やるってこと。そういうことが社会で求められていることですから。」

そして、検定へと送り出しました。検定中、後ろから私も見ていました。みんなそれぞれの障害を抱えながら、いつものように問題に取り組んでいる。その様子は昨日とさして変わりはない。静かに時間が経っていく。

ある時間にきたときに、私はハッとしました。みんな、いつもより早く次の問題へいってる。それが、一人とかではなく、みんな、なのです。検定の問題は昨日までの練習問題とさして難易度に違いはない。どうしたことか、と思いながらも、溢れる涙を止めることができませんでした。「みんなの心に私の言葉が届いている。精一杯がんばっているんだ。」

結局、時間に間に合わないという生徒は一人もなく、検定を終えました。粗点をつけたところ、一人を除いて、全員が合格ラインを大きく上回りました。

感動を胸に、検定の次の日(昨日)の授業を迎えました。いつも恥ずかしそうに下を向いたりしている生徒、ちょっとニヒルに構えている生徒も、みんなみんな、とても輝いて見えました。なんて素敵な生徒たちにめぐり合えたのだろう。

「皆さん昨日はお疲れ様でした。みなさんががんばっているのが後ろから見ていて本当によく伝わってきました。涙がでました。これから社会でいろいろなことがあると思う。いろんな人がいていろいろなことを言われたりすると思う。社会にそういう人がいることはしょうがないことです。みなさんはたまたま障害ということで手帳を持っているけれど、個人差っていうのはどこにでもあることだからね。だからどんなことがあっても、ひねたりいじけたりしないでくださいね。昨日みたいに精一杯のことをやっていれば、昨日私が泣くくらい感動したように、きっと誰かが見ていてくれるから。それできっと誰かが助けてくれるから。3月まで学校にいる間を、検定までの時間と同じように、大切に精一杯やりましょうね。」

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ブログ説明

こんにちは。ののです。

ここでこのブログのシステムについてご説明しようと思います。

まず、記事の最後に「Ads by Google」の広告が出ています。この広告はこのブログ(ココログフリー)を使うと 自動的に任意に表示されるもので、この広告を私が外すことはできませんし、私が選んだ広告ではありません。ご了承ください。

それから、左サイドバーにはメールフォームをつけました。コメント欄を閉じましたので、みなさんから私へ、という通路という意味でつけました。いただいたメールには、できるだけ返信をさせていただきます。(すでに、何通かメールをいただきましたが、申し訳ないことに返信が滞っています。できるだけ早く返信させていただきますので。スミマセン。。)

また、Ranking欄を設けました。人気blogランキングに参加しています。ただ、これは、順位を見る目的で参加したものではありません。このブログの読者は、そのほとんどが旧ブログからのリンクを辿っていらっしゃる方と思われましたので、blogランキングに参加することで、もう少し広く人の目に触れる状態で、公開しようと思ったことによります。もちろん、すでに応援クリックをしてくださっている方もいらっしゃいますね。ありがとうございます。クリックすると、このブログにポイントが加算される仕組みになっています。もちろんそういったみなさんの応援クリックはとてもありがたく受け止めております。

ブログを開くと、最初に、最近の10個の記事が表示されます。それ以前の記事を表示させるには左サイドバーの「バッグナンバー」で、見たいところの月をクリックすると、その月の記事が表示されるようになっています。今月の特定の日にちの記事を表示させるには、カレンダーの日にちのところをクリックします。カテゴリーも同じく、見たいカテゴリーをクリックすると、そのカテゴリーの記事が表示されるようになっています。

また、何かご説明することが見つかりましたら、カテゴリー「ブログ説明」の記事にてお知らせします。

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2006年8月19日 (土)

Oblivion~あなたへの月~

こんばんは。ののです。

nono's dreamを卒業し、ここに新しいブログを作ることにいたしました。

ここ1ヶ月余りの間に、私の中ではかなりの変化が生じました。環境や生活など外見的なことにはそれほどの変わりはないのですが、心の中では、何かを捨てたり、何かを得たり、ということがまとまって起こったときだと思います。それは、誰かに精神的に頼ったり依存したりすることをやめる、という意味で、精神的成長であったと同時に、自分があまりたいした人間ではない、ということを徹底的に思い知らされることでした。

誰にも何にも依存しない、ということを決断したことで、多くの荷物を捨てることができました。もちろん、その過程は痛みや辛さを伴うものでした。過去のいろいろなことの清算が必要だった。それは自分にとっては辛いことも思い出して考える作業、涙も流れたし、呆然と途方に暮れるときもありました。(もちろん、これからもそういうふうにして、考えていくでしょうが。)そして、その軽くなった自分で、自分というものを見つめてみたときに、自分というものの儚さ、不確かさを知ったような気がしています。

それを、「oblivion」(忘却)という言葉に込めました。

不確かな自分を想うときに、だんだんと、寂しさよりも潔いさっぱりとした気持ちに変化していくようになりました。桜が咲いたと同時に散っていく、潔く、だからこそ美しい、あのイメージです。思えば、生きているものは全て、自然の流れの中に身をゆだね、流れては消えていく存在です。もちろん「自分」もその例外ではなく、昨日の「自分」やさっきの「自分」とだって、今の自分は違うだろう。そう思い至った時に、「自分」の中に確かなものを探そうとして、「自分」に無用にこだわる気持ちが自然に薄くなって、とても身軽になりました。

nono's dream(旧ブログ)では2年近くの間、自分の中の出来事には他の人にもきっと当てはまる、普遍的なものがあるのではないか、と信じて書き綴ったものです。心が身軽になった今、そういう普遍的なものもある、という感覚をひしひしと感じています。人間なら誰でも抱く、想いや痛みや喜びがあると思っています。自分ではそう思っていないつもりでも、どこかで同じようなことを考えているかもしれない。そういう共通した思いを、あなたに届けられたらいいな、と思っています。大好きな月にたとえて、「あなたへの月」と副題をつけました。歌手のcoccoさん作曲の曲名からとらさせていただきました。

nono's dream(旧ブログ)と違うところは、自分のことを単に報告するのではなく、あなたへ語りかけていくというところです。そして、nono's dreamを終わらせた一番大きな理由は、ついに私自身、夢を見つけた、ということにあります。日常の中にある、小さな夢のカケラを拾い集めているうちに、将来にわたる少し大きな夢を描くようになりました。その時点で、nono's dreamは完結したように思っています。儚く不確かな自分に思い至るとき、昨日の自分、さっきの自分、自分、自分、にこだわることなく、今現在見えているもの、他の人と共通する何か、そういうものを探したり見つめたり考えたりすることを大切にしたい、それが今したいことであり、その延長に夢を持っています。

最初の記事ということもあって、具体例は省いて少し観念的な文章になってしまいましたが、具体的な夢のことや、ここに書いたことについての経緯などについては、おいおい、記事の中で書いていくつもりです。多分、いろいろなことを書くのに、外せないところになっていると思いますので。

ここでは、感じたこと、考えたことなどをできるだけ正直に書いていこうと思っています。その中に少しでも、あなたと共通する何かを感じ取っていただけたなら、それ以上に幸せなことはありません。

このブログはコメント欄を閉じることにしました。申し訳ないことなのですが、記事を書くのに精一杯で、コメントレスをする時間と余裕がないというのが現状です。どうぞ、ご了承ください。

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