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2006年9月25日 (月)

音楽に関する一過的個人的考察

こんばんは、ののです。

最近考えていることは、音楽についてです。それも、少し混乱しよく分からないままに、このブログに向かっています。それでも、どうしても、私にとって見逃すことのできないほどに、はたと考えてしまっているので、何を書こうとしているのか分からないような状態でも、このことについて書こうと思っています。

音楽は皆さんにとっても、重要なものの一つだと思います。そして極めて個人的なことですね。だからこれから書くような私の話も、極めて個人的なものであるということで軽く受け流していただければ幸いです。私は、自分の音楽の趣向をみなさんに伝えようとか、あの音楽はダメだ、などということを主張するものではありません。ただ、極めて個人的に素朴に自分と音楽の関係について考え込んでしまっているので、それを言葉にして少しでもはっきりさせたい、という欲求のもとに、このブログに向かっています。

音楽について考え始めたきっかけは、先日行ってきたあるライブでの出来事です。

そのライブはキャンプ場に泊りがけで、いろいろなアーティストのライブを聴くというものでした。その中で一番目玉のアーティストについては、聴いたことが一回ある程度、他のアーティストについてはまったくの白紙状態でした。一番目玉のアーティストについては、一回聴いた時に、わりといいと思っていたので、誘われるがままに友達と参加したのです。

主人には一回聴いたことがある程度、しかも他のアーティストは全く知らないという状態で泊りがけでライブに行くなんて信じられないと言われましたが、何より私には、音楽なら何でも聴けるし楽しめるという自負が強くありました。ジャンルをほとんど問わずに音楽を聴いてきたし、音楽全体というものをこよなく愛していました。また、東京JAZZのような似たようなイベントで、知らなかった素晴らしいアーティストに出会うことができた経験もありました。

そして、いざ、ライブに突入しました。周りの人と多少の温度差を感じましたが、自分から飛び込んだものについて、斜めに構えてつまらなくしてしまうのは嫌いだし、楽しめるだけ楽しんでいるところでした。ところが、そこでどうしても、「聴けない音楽」というのが現れたのです。少なくとも2組ぐらいはどうしても聴けなかった。友達には本当に申し訳ないと思いながらも、退席せざるを得ませんでした。

この退席せざるをえなかった自分に非常に驚いてしまいました。私はあまり神経質とか気難しいというタイプではないと思っていたから、こんな気難しい態度をとるなんて、ちょっと我ながら信じられなかったのです。しかも、音楽なら何でも聴ける、という自負も強くありました。目玉のアーティストが連れてきたアーティストたちでジャンルはそれほど変わらないし、その目玉のアーティストについてはいい感じだと思っていたので、その中に聴ける音楽と聴けない音楽が出てくるとは思いも寄らなかったのです。

帰ってきてから、いろいろと考えました。まず、どうして退席せざるを得なかったか。

よく考えたところ理由は二つありました。まず、周りのその音楽に陶酔している人たちについていけなかったこと。もちろん一部の人たちではあったのですが、私の席はその人たちに囲まれていました。最初は、そこまで音楽に入り込める人たちをすごいと思い、物珍しく眺めていたのですが、だんだんと、どうにもこうにも怖くなってしまったのです。

私自身の中で一番恐れていることが、自分の意識で自分の行動を統制できなくなることです。もちろん、心の中に無意識という領域もあります。その無意識の世界に非常に恐れを感じながらも、知りたいと思っているところですが、ほとんどの部分が意識によって統制されていると言えるから、私自身、ある程度安心して日常生活を楽しめるという面があります。

もちろん、自分の行動が意識によって統制されているのなら、他の人のことをとやかくいう必要はないし、そのつもりもないのですが、何かものすごい恐怖感に襲われてしまったのは事実です。そして、それほど心酔できる音楽とは何なんだろう、これがそんなにも大切なことなのだろうか…。疑問がとめどなく湧いてきました。

退席せざるを得なかった理由の二つ目は、やはりその音楽をどうしても聴いていられることができなかった、ということです。そのことを認めざるを得ませんでした。これは、その音楽がいいとか悪いとかの問題ではなく、私自身の中に「聴けない音楽」という限界領域が存在したことに対する驚きと戸惑いです。

今までは、私の中に、「好きな音楽」と「聴ける音楽」しか存在していなかった、少なくとも「聴けない音楽」というものをはっきりと意識したことがなかったのです。それを突然はっきり突きつけられてしまいました。それも驚きなのは、同じジャンルの同じような雰囲気を持つ音楽の中に聴ける音楽と聴けない音楽が存在したことです。

私自身、あるまとまった自分というものを感じられないとなんとももやもやして気持ちが悪い。意識として、そういうものに言葉を与えたり区別していかないと、どうも嫌な性分なのです。

それで、いろいろ考えました。「エレキギターがギーッと鳴ってしまう音楽が嫌なのかなぁ」「アメリカンアメリカンしている音が嫌なのかなぁ」「金管楽器の音が嫌いなのか」…。

自分のCDを一つ一つ確かめましたが、どれもこれも例外があったのです。エレキがギーッとなっている音楽もあった、アメリカ人の楽曲はむしろ多い、しかもアメリカな雰囲気のJAZZもたくさん持っている、金管が鳴っている音楽をまったく違和感なく聴き続けていた…。

ここまで考えたところで行き詰るので、今までの音楽の趣向に見方を転じて考えてみました。

小さい頃からピアノをやりクラッシックも随分聴いたし、親がかけていたシャンソンのレコードも大好きだった。中学高校と合唱をやり、昔のフォークと言われる音楽を合唱曲としていつも歌っていた。高校がミッションスクールだったこともあって宗教音楽も随分とやった。もちろんアイドルの音楽や、日本のポップスも大好きで、大学を入る頃には槇原敬之をこよなく愛していた。他にサザン、スピッツ、ユーミン、小田和正、竹内まりや、などなど今でもiPodの中に日本のPOPSがたくさん入っている。

大学を卒業してから、JAZZを聴き始めた。それに伴ってボサノバとタンゴも聴き始めた。洋楽もよく聴くようになった。ヒップホップ、R&B、レゲエ、ラップ、ロック、ケルト的な音楽、ハワイアン…。日本からアメリカ、そしてヨーロッパ大陸、世界の音楽へ。名前を挙げることができないほど多くてとても歯がゆい。この辺になってくると、今までのようにメディアからの情報ではまったく足りなくなったので、口コミか、ひたすらレコード屋で視聴しながら選んで回った。もちろん今でも邦楽が大好きで、大塚愛、BENNIE K、Cocco、Def Tech、オリジナルラブなどなど、好んで聴いている。

ロックに関して言えば、あまり今まで聴いたことがないと思い込んでいたけれど、CDを見てみると意外にも多い。ビートルズから主人に借りたメタルに至るまで、深く私の中に根づいている音楽であることが分かった。

これら今までの音楽は少年隊から何から、全てCDとしてとってあるし、今でもほぼ満遍なく聴いています。こういう風に考えてくると、音楽は本当に私の中で、大切なものであったし、これからもなくてはならないものになるのだろうと思う。だからあのライブでの周りの人との温度差が、気になってしまったのかもしれない。「音楽を大切に思うって何だろう」

そして、今まで聴いてきたものを、何一つ捨てていない、ということ。「こういうのも聴いたしこういうのも聴いたけど、やっぱりこれね」というジャンルなりなんなりを持っていない。ここから、何でも聴けるという過信が生まれてしまったのでしょう。

ここまできて、今まで溜めてきた自分の好きな音楽のCDを聴きながら、「好きな音楽」のタイプを随分と探りました。そしてそれがどういう音楽であるかを表そうとした時、結局、抽象的に「感情を揺さぶる音楽」と「感覚を揺さぶる音楽」もしくはその両方を揺さぶる音楽である、というところまでしか、言葉を与えることができませんでした。日本のPOPSなどは感情を揺さぶるものが多く、JAZZなんかは感覚を揺さぶるものが私にとって多かったように思います。

「好きな音楽」がここまでしかはっきりさせられない、となると、そのほかの「聴ける音楽」と「聴けない音楽」に言葉を与えることがますます困難で、やはりここで途方に暮れてしまうのです。

自分が拒絶する音楽があるということが本当に驚きであったと同時に、自分にとって、それでも、または、だからこそ、音楽が大切なんだろうなと再認識しました。その大切なものへの疑問と追求がこれからも続いていくのだと思います。そして、自分がどういうものを好み、どういうものを拒絶するのか、そういうことを知るのがなんとなく楽しみでもあります。

一つの記事に、音楽について思っていることを書くのは、本当に困難でした。全然書ききれなかったし、上のような結論じみたことを書くのも非常に苦痛でした。ある一定のところで結論を打たなければ永遠にいろいろな疑問や考えが生まれてきてしまう。膨大な物事にぶち当たってしまったんだという風に痛感しました。今回与えられた驚きと衝撃と疑問があまりに多かったので、全然まとめ切れませんでしたが、またカテゴリー「音楽」の記事にて、ちょっとずつもう少し具体的に書いていきたいなぁと思います。

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2006年9月10日 (日)

強く儚い者たち

こんにちは、ののです。

この間、書いたのに非公開にしていた記事がありました。こんな記事です。

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痛み

人は誰でも欠点というか、何かに欠けていながらも、生きているものですよね。

私も最近、いろいろある欠点のうちの一つの欠落している部分を思い知りました。

数日前、何気なく夫に、夫の過去の恋愛のことについて聞いてみました。夫が過去に、私以前に付き合っていた女性は一人。その女性の話は以前にも聞いたことがあったのですが、あまり詳しく聞いていなかったのです。

聞けば、涙なしには聞けない話。お互い好きだったのに、どうしても別れなければいけなくなってしまったのです。夫もその女性も、泣きながら別れたということです。

私は、ものすごくびっくりしてしまいました。夫はあまり感情を表に表す方ではない人なので、恋愛にはとても淡白に見えるし、夫が泣くというのは、ちょっと想像もできないすごいことだったのです。そして夫は今でも、その痛みを抱えて生きているのです。もちろん、遠い過去の話として。

私自身、自分を振り返ってみたときに、今現在心に残っているような痛みがないことに愕然としました。いろいろな人と恋愛をして別れてきたけれど、全て、別れたことに疑問や痛みを今は感じていない。それどころか、そういう経験を、心からいいことだったと理解し感謝している。

恋愛だけではなくて、他の挫折についてもそうです。私は以前、司法試験の勉強をしていて、それに受からずに挫折した経験がありますが、それについても、挫折してよかった、と心から思っています。夫を始め、挫折しなければ出会えなかった人がたくさんいるし、今の仕事に就けたことにもとても感謝している。

だから、夫がそんなに悲しみ、痛みを抱えていることにとてもショックを受け、次に、自分がそういう痛みを抱えていないことにショックを受けたのです。

夫に話したところ、夫は、「普通の人は自分みたいだと思うけど、ののはポジティブシンキングでうらやましい」と言いました。

でも、私はどうしてもその点が長所だとは思えない。痛みをあまり感じない、抱えていない、というのは、感性のある部分が欠落しているのだと思います。同時に、人の痛みが分かっていなかった。今まで、別れた相手の痛みを感じたり、感じようとしたことがなかった。痛みがあることに思い至らなかったのです。夫とも交際中に一度別れたことがありますが、その時も特段、夫の気持ちを思いやるということがなかったのです。

もちろん、そういうことを知ったからには、これからはもっと、人の気持ちを考えなければいけないと強く思っています。でも、多分、少しあるものだったら伸ばしていけるけど、欠落しているものは伸ばすことはできない。何かあっても、私は、いいことだった、と理解して、痛みを抱えずに生きていくのでしょう。悔しいけど変われないのだと思います。そう思ったら、とめどもなく涙が溢れてきました。

なぜ変われないと思うかというと、その性格は遺伝的要素が強いと思われるからです。母方の祖父は、戦争の時シベリア抑留になってしまいましたが、一命をとりとめて帰ってきて以降、むしろロシアに非常に感謝していたのです。一生をロシア文学とロシア演劇の研究に費やしました。祖母も二人の娘を満州から連れて帰ってきた肝っ玉お母さんで、今も健在ですが弱音を吐いたり後ろ向きなことを言うのを聞いたことがありません。母は、それこそ天真爛漫で、何かを失った時でも何かを得たと思っている人です。その母方の血を私は昔から、強く受け継いだと言われています。自分では悲しんだり悩んだりしているつもりなのですが、どうも、そうは見えないようです。

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この記事は、途中で終わっています。どうしても続きというか、結論が書けなかった。

「私はこういう人です。悲しいけれど変われないから、これでしょうがないです」で終わることができなかった。

あれから、周りに私よりも弱い人がたくさんいるんだ、ということを思い知る出来事がたくさんありました。

大学の友人が集まるあるパーティーに出席して、大学時代の元恋人(今から10年以上も前の)に再会しました。別れた後も以前に1回、彼に違うパーティーで会ったことがあったので、私はもう何でもなく彼と挨拶をし、話をしようと思ったところ、彼の方がどうも、私と話をしたくないと思っている様子。彼と話をしようとしたこと自体、デリカシーに欠ける行動をしてしまったのではないか。

学校の生徒にも、熱心になるあまり、かなり厳しいことを言ってしまった。

年上の友人から、恋の悩みを打ち明けられた時、もちろんたくさん慰めて元気付けたけれど、心の中で、「もっとしっかりしてほしい」と願ってしまう。

こういうことに関して、周りのたくさんの人の意見を聞いて回りました。そして、だんだん分かってきた。

私は変わらなければならない。

私は周りの人よりも強いのかもしれない。でも、それは「今」の自分がたまたまそうなのであって、思えば、その「自分」というものはとても儚い存在だったのです。母にその友人のことを相談したとき、母は「誰だってそういう弱い時期があるんだから、まぁ、あたたかく見守ってあげなさい」と言った。その時、ハッとしたのです。私だって元彼とは話したくないと思う時期があるのかもしれないし、しっかりできない時期だってあるのかもしれない。

人と付き合うとき、その人を自立した大人の人間として扱うこともとても大切だと思うのです。でも、その人が今の自分よりも弱い存在であるかもしれないことをいつも忘れないでいること、そういうことももっと大切だと思います。

そして、今、私が人よりも強いのなら、その分、人の何十倍も努力して、人のことを理解しようと努めなければならない。それは、単なる義務としてではなく、自分もそうなるかもしれない存在であること、過去にそうだったかもしれないこと、だから自分のこととして受け止めるという、言わば人として当たり前のことに心を使うということです。

祖父もただのポジティブシンキングで終わらなかったからこそ、ロシア演劇・文学の機微、美しさをたくさんの人に伝えられることができた。祖母もみんなを思いやってきたから、今もみんなから大切にされ健在でいる。母もそういう細やかな神経と思いやりで私を育て、今も私を支えてくれている。祖父母、母も努力してきたのだと思います。

自分も「強く儚い者」、人も「強く儚い者」、そう思うと、人を自立した一人の人間として信頼することと、人を思いやることとのバランスがうまくとれるような気がしています。

私はまだまだですが、こういう境地に達したい。
『私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた』(「Raining」 Cocco)

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