2006年11月 6日 (月)

秋の夜長に

Yaminohikari

GR DIGITAL

闇の中の灯りは温かい。今宵、真空管システムから流れる音楽はそう言う。MARIELLE KOEMAN & JOS VAN BEEST TRIO「From the Heart」の中の一曲、「YOU MUST BERIEVE IN SPRING」。マリエル・コーマンの一途な飾らない歌声が闇夜に一筋の灯りとなる。いてもたってもいられなくなり、ごそごそと起きだした。

人生には確かに、闇夜のように暗い暗い部分もある。暗いところからは抜け出したい。追い払いたい。いつでも明るい光の中にいたい。

でも、いつでも光にくまなく照らされる平らな石は美しくない。凹凸がありそこに影があるからこそ彫刻は美しい。

だから、私も、暗い部分とともに生きよう。それが、私の人生であり、私が彫った彫刻だから。そして、そこに必ずあるはずの灯りを探そう。その灯りはとても温かく足元を照らしてくれるから。決して全てを暗くはしない。

                                                                                                                2006akioto

今年の秋によく聴いているCD。上段、中央ハートのジャケットがマリエル・コーマンWithヨス・ヴァン・ビースト・トリオの「From The Heart」。オランダより。上段、一番左の切れてるのが、「JAZBEET」。イタリア発、40年代~50年代のアフロンアメリカンスタイルを。左から2番目、OS COBRAS「OLP」ブラジル発、ブラジリアンジャズ。上段一番右と下段の鳥さんのジャケット、SIRUS B。UK発、ブラジリアンジャズ。ドキドキもの。下段、おじさん三人組はヴォルフガング・ダウナー・トリオ。Jazzyな「Yesterday」が大好き。下段右。ご存知、ジャイムス・モリソン。UK発、切なく歌っちゃうところがかわゆい。

Yonaga

Moonglass

2006birthring

バースデイウィークなので、ピアスを。輪が好き。あらゆるものはどこかでツナガッテイル。

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2006年10月28日 (土)

嫌いな人と私

私にとって、一番嫌な相手、というかむかむかする相手というのが、「自分を愛してくれたら君を愛する」などの「あなたがこうだったら愛する」という条件付の愛を呈示し、私に何かを精神的に(無意識にしろ意識的にしろ)求め、それを私が拒絶すると被害者として振舞う人である。

いくらその人が、私のことを愛しているから、と言っても(言葉によるもののほかに態度による言葉である場合もあるが)、そこには本当の愛をどうしても感じられない。愛してほしいという要求や結局はその人が私ではなく、自分を愛するために、私を利用しているように感じられてしまう。

これは、もちろん男女関係に限ったことではなく、広く私の人間関係において感じることで、最近、なんだか頭を離れないことの一つであった。頭に浮かんでくると、追い払おうとしていたのだが、それでも頭に浮かんでくるもので、これは何か私にとって重要なことなのかもしれない、片をつけなければいけない時期にきているのかもしれないと思った。

何かを自分の胸に聞いてみたいとき、私は本を読む習慣がある。本の内容はそれなりに興味のある本であればよく、そこから答えを引き出そうと思って読むわけではないのだが、読んでいるうちに、何か静かな気持ちになって、ふっと自分の中で何かが分かることがよくある。

本は常に読んでいるのだが、こういう人が嫌いな理由を私の中に探すにあたって、いろいろと一人で考えるのではなく、本を読み続けた。

その私だけの時間の中で、やはり自分を発見することになった。

「私も、人に愛を強く求めている、しかも条件付で」

人から求められる愛、偽りの愛、というものをひどく嫌う理由は、それが本物ではないから、つまり、本物の愛が欲しい、と私自身が強く思っていたからなのです。

ひどく嫌っていた人たちと自分が、根本において同じであったということは驚きであったけれど、少しほっとした。結局自分のことが嫌いだったのだと思う。

学校の教室に貼ってある相田みつをの詩。「うばいあえば足らぬ、わけあえば余る」

私は今まで奪い合っていたのかなと思う。だから足りないんだ。どうすれば、分け合えるようになれるのだろうか。そんなことをボーっと考えているときに思い浮かんだのは、主人のことだった。

主人のことを淡白な人だと思っていた。「どうして私の事が好きなの?」とよく聞いた。言葉に出さなくても、主人の愛は本当に身にしみて私には分かっていた。でもそれがどうしてなのかずっと知りたかった。私のどこが好きなんだろう。主人はしばらく考えても「なんとなく」などと言う。問い詰めると、「一緒にいて楽しいから」「一緒にいて落ち着くから」「なんとなく存在が」と言う。私はこの答えにいつも満足できなかった。私は、他の人とは違う何かがなければ、主人にとっていいと思える何かを「する」とか行動の特徴とか優れているものとか、そういう何かがなければ愛される資格がないと思い込んでいたのである。

しかし、これこそが私の求めていた愛なのではないか、と思えてきた。「無条件の愛」。私の何か行動の側面などを愛しているというのではなく(それゆえ私に何かを求めることはなく)、私の存在自体を愛してくれているのではないか。ただ「わたし」というそこにあるもの、それを愛し、そばにいてくれているのではないか。

ただそばにいてくれること、それがどんなに愛情に満ちた行為であるかが今、分かる。主人はあふれ出す愛情を私にそっと注ぎ、私はそれを浴びている。陽の光を浴びるように。きっと主人もそのようにして育ったのだろう。そう思うと私は、主人の両親に心から感謝の気持ちを持たずにはいられない。

たくさん、陽の光を浴びた。失う「自分」などというものもないということも理解しつつあると思う。そうしたら、今度は私が、周りの人に、愛情を惜しみなく注ぐ番ではないかと思う。

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2006年9月10日 (日)

強く儚い者たち

こんにちは、ののです。

この間、書いたのに非公開にしていた記事がありました。こんな記事です。

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痛み

人は誰でも欠点というか、何かに欠けていながらも、生きているものですよね。

私も最近、いろいろある欠点のうちの一つの欠落している部分を思い知りました。

数日前、何気なく夫に、夫の過去の恋愛のことについて聞いてみました。夫が過去に、私以前に付き合っていた女性は一人。その女性の話は以前にも聞いたことがあったのですが、あまり詳しく聞いていなかったのです。

聞けば、涙なしには聞けない話。お互い好きだったのに、どうしても別れなければいけなくなってしまったのです。夫もその女性も、泣きながら別れたということです。

私は、ものすごくびっくりしてしまいました。夫はあまり感情を表に表す方ではない人なので、恋愛にはとても淡白に見えるし、夫が泣くというのは、ちょっと想像もできないすごいことだったのです。そして夫は今でも、その痛みを抱えて生きているのです。もちろん、遠い過去の話として。

私自身、自分を振り返ってみたときに、今現在心に残っているような痛みがないことに愕然としました。いろいろな人と恋愛をして別れてきたけれど、全て、別れたことに疑問や痛みを今は感じていない。それどころか、そういう経験を、心からいいことだったと理解し感謝している。

恋愛だけではなくて、他の挫折についてもそうです。私は以前、司法試験の勉強をしていて、それに受からずに挫折した経験がありますが、それについても、挫折してよかった、と心から思っています。夫を始め、挫折しなければ出会えなかった人がたくさんいるし、今の仕事に就けたことにもとても感謝している。

だから、夫がそんなに悲しみ、痛みを抱えていることにとてもショックを受け、次に、自分がそういう痛みを抱えていないことにショックを受けたのです。

夫に話したところ、夫は、「普通の人は自分みたいだと思うけど、ののはポジティブシンキングでうらやましい」と言いました。

でも、私はどうしてもその点が長所だとは思えない。痛みをあまり感じない、抱えていない、というのは、感性のある部分が欠落しているのだと思います。同時に、人の痛みが分かっていなかった。今まで、別れた相手の痛みを感じたり、感じようとしたことがなかった。痛みがあることに思い至らなかったのです。夫とも交際中に一度別れたことがありますが、その時も特段、夫の気持ちを思いやるということがなかったのです。

もちろん、そういうことを知ったからには、これからはもっと、人の気持ちを考えなければいけないと強く思っています。でも、多分、少しあるものだったら伸ばしていけるけど、欠落しているものは伸ばすことはできない。何かあっても、私は、いいことだった、と理解して、痛みを抱えずに生きていくのでしょう。悔しいけど変われないのだと思います。そう思ったら、とめどもなく涙が溢れてきました。

なぜ変われないと思うかというと、その性格は遺伝的要素が強いと思われるからです。母方の祖父は、戦争の時シベリア抑留になってしまいましたが、一命をとりとめて帰ってきて以降、むしろロシアに非常に感謝していたのです。一生をロシア文学とロシア演劇の研究に費やしました。祖母も二人の娘を満州から連れて帰ってきた肝っ玉お母さんで、今も健在ですが弱音を吐いたり後ろ向きなことを言うのを聞いたことがありません。母は、それこそ天真爛漫で、何かを失った時でも何かを得たと思っている人です。その母方の血を私は昔から、強く受け継いだと言われています。自分では悲しんだり悩んだりしているつもりなのですが、どうも、そうは見えないようです。

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この記事は、途中で終わっています。どうしても続きというか、結論が書けなかった。

「私はこういう人です。悲しいけれど変われないから、これでしょうがないです」で終わることができなかった。

あれから、周りに私よりも弱い人がたくさんいるんだ、ということを思い知る出来事がたくさんありました。

大学の友人が集まるあるパーティーに出席して、大学時代の元恋人(今から10年以上も前の)に再会しました。別れた後も以前に1回、彼に違うパーティーで会ったことがあったので、私はもう何でもなく彼と挨拶をし、話をしようと思ったところ、彼の方がどうも、私と話をしたくないと思っている様子。彼と話をしようとしたこと自体、デリカシーに欠ける行動をしてしまったのではないか。

学校の生徒にも、熱心になるあまり、かなり厳しいことを言ってしまった。

年上の友人から、恋の悩みを打ち明けられた時、もちろんたくさん慰めて元気付けたけれど、心の中で、「もっとしっかりしてほしい」と願ってしまう。

こういうことに関して、周りのたくさんの人の意見を聞いて回りました。そして、だんだん分かってきた。

私は変わらなければならない。

私は周りの人よりも強いのかもしれない。でも、それは「今」の自分がたまたまそうなのであって、思えば、その「自分」というものはとても儚い存在だったのです。母にその友人のことを相談したとき、母は「誰だってそういう弱い時期があるんだから、まぁ、あたたかく見守ってあげなさい」と言った。その時、ハッとしたのです。私だって元彼とは話したくないと思う時期があるのかもしれないし、しっかりできない時期だってあるのかもしれない。

人と付き合うとき、その人を自立した大人の人間として扱うこともとても大切だと思うのです。でも、その人が今の自分よりも弱い存在であるかもしれないことをいつも忘れないでいること、そういうことももっと大切だと思います。

そして、今、私が人よりも強いのなら、その分、人の何十倍も努力して、人のことを理解しようと努めなければならない。それは、単なる義務としてではなく、自分もそうなるかもしれない存在であること、過去にそうだったかもしれないこと、だから自分のこととして受け止めるという、言わば人として当たり前のことに心を使うということです。

祖父もただのポジティブシンキングで終わらなかったからこそ、ロシア演劇・文学の機微、美しさをたくさんの人に伝えられることができた。祖母もみんなを思いやってきたから、今もみんなから大切にされ健在でいる。母もそういう細やかな神経と思いやりで私を育て、今も私を支えてくれている。祖父母、母も努力してきたのだと思います。

自分も「強く儚い者」、人も「強く儚い者」、そう思うと、人を自立した一人の人間として信頼することと、人を思いやることとのバランスがうまくとれるような気がしています。

私はまだまだですが、こういう境地に達したい。
『私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた』(「Raining」 Cocco)

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2006年8月30日 (水)

依存

こんにちは、ののです。

今日は、この数ヶ月の中で、最も強く感じ、考えたことを書きたいと思います。精神的な「依存」についてです。この話は、このブログを立ち上げた理由にもなっています。

1ヶ月半前のある日、つくづく、私はいろいろな人に精神的に依存しているのだ、と感じたことがありました。大学時代のある友人とのことがきっかけです。

その友人とは大学時代のクラスメート。大学を卒業し、彼女は企業へ就職。私は司法試験の勉強をしていました。数年、連絡を取らない状態でしたが、私の父が亡くなった、その前後から自然に連絡があるようになりました。

彼女も彼女なりに大変な時期でした。私も、次年度の司法試験を最後に、勉強をやめようと思っているところでした。お互い、わりと深い内容について話したりするようになりました。

そして、いざ、司法試験本試験の直前になったとき、彼女とトラブルになり、試験直前のある日、彼女に、ある言動と行動で決定的に打ちのめされることをされてしまったのです。彼女とはその時、深い話もするような仲だったので、私自身、とても深いところで傷ついてしまいました。試験も、会場に行くのがやっと。論文などは書ける精神状態ではないままに、最後の司法試験が終わってしまいました。

「友達なのになぜ、司法試験直前のあの時に、ああいうことをするんだろう」

それから、彼女とは連絡を取らないようにしていました。そして、私自身、幸せな今、そのことを忘れ去っている、と感じていました。

それが、数ヶ月前、大学時代の他の友人のことで、再び連絡をとるようになりました。あの時とは違う、別になんともない内容のメール。でも、あの時と同じ、彼女らしいやり方の連絡の取り方と話題の選び方…。

私は、何かたまらなくなっていきました。忘れていたと思っていた、あの時のこと、あの時の気持ちが甦ってきたのです。忘れてはいない、事細かに覚えている自分に愕然としました。そして、今でもとても傷つき、嫌な想いを抱いていました。

「何でこんなに苦しいんだろう。どうしたらいいんだろう。」

その日、ちょうど、仕事が夏休みでお休みだったので、少し立ち止まってみることにしました。こう考えようとかこう考えた方がいいとか思わずに、頭に思い浮かぶままに、考えに身を任せていました。涙も止まらないし、どうしようもない気持ちになるけれど、それはそのままにボーっとしていました。

夕方頃になった時、突然、ハッとしました。

「私がこんなに苦しいのは、彼女に依存しているからだ。友達だったらこうしてほしい、という気持ちが強いからだ。人間いろいろな人がいて、私の思ったとおりの理想の行動をしてくれる人なんていないんだから。」

そう思ったとき、急に、胸のつかえがとれて、気持ちがほーっと鎮まっていきました。気分が不思議なほど爽やかになっていきました。

その時、自分の人間関係を改めて検証してみました。随分いろいろな人に依存している。親、妹、夫、友達、…。「親ならばこうあってほしい」とか「夫ならばこうあってほしい」みたいなことが、多かれ少なかれあることに気づきました。

依存していると、苦しいのは自分で、その苦しみは本当に辛いものだ、ということがこの時実感として分かりました。だからこの時、人に依存するのはもうやめよう。人はその人らしく、好きなようにやっているし、自分もその一人なんだだから。そう強く決心しました。

そう思って、周りを見渡してみると、なんと面白い人がたくさんいることか。このときから、人は私を傷つける存在ではなくなりました。いろいろなことをしていて面白い存在。そして、同じ人間。人間としての同じような想いを抱きながら、それをいろいろに表現している。人がどういうことを想い、どういう風に感じ、どういうことを言うのか、そういうことが、すごく、私の興味の対象になっていきました。人間としての共通した想いや心の動きを、いろいろな人と共有したい。このブログを始めたのも、そんな想いがあったからです。

日本人は欧米人に比べ、他者依存が強いと言われていますね。私は、そういう日本人の「依存」は絶対、否定的には思えない。美しいことだと思います。「依存」という精神過程を持っているからこそ、他人が何を求めているかということを、感じることができるし、そのことをいつも忘れないで行動することができる。思いやりに溢れた、感性豊かな心だと思います。それで、ある程度までいくと、依存の辛さを知り、多くの人は、一定程度の依存を断ち切って大人になっていく。

そういう「依存」という過程を知った、思いやり深い大人がたくさん、この国にはいること、それを私は近頃、身の回りで感じることができて、とても嬉しく思っているところです。

依存することもまた、いいことですね。そして、それを知って、そういう気持ちを忘れずに自立していくということもまた、とてもすばらしいことだなぁと、最近、よく思っています。

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